【“死”に接して】

感じること 思うこと 実感  徒然。           思うに “死”の質量は、往生の仕方 経緯 往生の年齢に より変わって来る。また 受けとめ方は、つながりによって変わって来る即ち ごく近いもの 近いもの そうでないもの それは、血縁 ご縁のどちらにも言えるだろう。

亡きがら(抜け殻)に接し荼毘に臥されお骨となり それを拾い 壺におさめる。淡々と執り行われる。            生老病死 愛別離苦 諸行無常

生まれて 生きるもの全てが誰もが、通る路 と人一倍(多分) 理解しては、いるものの物理的に、眼から、 水が、湧き出てしまう。

人とは、おかしきものなり。そして“死”とは、永久の消滅なり。

投稿者: admin

1949年12月に熊本の天草に生まれ、現在は千葉県船橋市にKAMIさんと愛犬MASHA(2010.5.5生)と居住。2013年6月に完全リタイア  以来 HIMA人 FREEマン。 アラウンド7(にそろそろリーチ)老い朽ちる日を見据えて KAMIさんと 主役のマシャとともに過ごす日々を、徒然 書き留めておく。 2018.10.14記