感じること 思うこと 実感 徒然。 思うに “死”の質量は、往生の仕方 経緯 往生の年齢に より変わって来る。また 受けとめ方は、つながりによって変わって来る即ち ごく近いもの 近いもの そうでないもの それは、血縁 ご縁のどちらにも言えるだろう。
亡きがら(抜け殻)に接し荼毘に臥されお骨となり それを拾い 壺におさめる。淡々と執り行われる。 生老病死 愛別離苦 諸行無常
生まれて 生きるもの全てが誰もが、通る路 と人一倍(多分) 理解しては、いるものの物理的に、眼から、 水が、湧き出てしまう。
人とは、おかしきものなり。そして“死”とは、永久の消滅なり。


