【 諸行無常を感じた日 】

工場に入門 当然のことか 数人いる保安の面々は、顔を知らない方ばかり 

待合に数人 70代 80代 見事に爺さん これも当然のことか 元気な爺さんそうでない爺さんとまちまち。自分は、どのような爺さんに、見えるのだろうか。

健診は、問診 触診 レントゲン 毎度 紋切り型 レントゲン精査の結果を待つことになる。

本事務所は、密を、嫌い 各会議室で、執務とのことあえて訪問することを辞め 帰ろうかと思ったのだが確認したいことが、一点あり現場事務所に足を向けた。

30代40代50代の後輩が、おり 相手をしてくれた。三人とも在職中 見知っている連中である。

本来メンテ要員であり 現場対応で出入りが煩雑なはずであるが現場からのSOSが、珍しくなく約1時間歓談できた。

結果 当時は、辛くシンドク感じていた時代であったが、今にして思えば 幸せな時代であったと痛感する。

昭和47年 配属された時 従業員のみで1200名 いた。現在400名足らずらしい。決してオートメが、進んだことだけが減員の理由ではない。 まさしく構造不況である。トップクラスの事業部であった。今は‥‥。

重厚長大が、ブイブイの時代であった。TON 幾らで商売ができた時代であった。時代が変わった。

在職中に携わった 心血を注いだ当時最新鋭の機械 設備 システムがどんどん消えていく 

寂しい。

後輩との話が、懐かしくもあり 現状を、訊くと

寂しい。

帰りに構内の外周を車で、一周してその様変わりに

更に寂しくなった。

投稿者: admin

1949年12月に熊本の天草に生まれ、現在は千葉県船橋市にKAMIさんと愛犬MASHA(2010.5.5生)と居住。2013年6月に完全リタイア  以来 HIMA人 FREEマン。 アラウンド7(にそろそろリーチ)老い朽ちる日を見据えて KAMIさんと 主役のマシャとともに過ごす日々を、徒然 書き留めておく。 2018.10.14記