【 文鳥オヤジは 】

ロートル(数か月若いだけ)ライダーだった。
メガバイク ハヤブサ隼を、所有している。
セカンドに400㏄のビックスクーターも所有。
スタンドを外しイグニッションを、かけさてもらった。
ドゥルルルン🏍 300kg 重 怖い 辛うじて足がつく。 
とても乗れない 負けた~。

【 本日文鳥オヤジと 】

一献 🍶
彼のお気に入りの稲毛のすし屋に連れて行ってもらった。
行き 京葉線 海浜幕張で乗り換え 稲毛海岸下車
直通なし 乗り継ぎが面倒
帰り 🚌バスJR総武線 稲毛~西船橋
けっこう頻繁にバスが、運行されている。
トータル時間は、ほぼ同等。
二つの駅は、はじめての降車 ハイカラな駅である。
22時過ぎに無事帰宅。

【 見つけた 】

常々探していた👀。
母が、使っていたビネガー なかなか見かけなかった。
廃版では、なかったようだ。
KAMIさんが、見つけた。 リンゴ🍎酢ベースのビネガーだ。
刻みオニオン 本品 サラダオイル(昔は、オリーブオイル
なんて洒落たものは、使わなかったようだ)塩コショウ
パブリカパウダーを、混ぜ シェイクしサラダ・ドレッシング
に使う 春雨 スパゲティサラダによく合う。

【 嘆きながらも 】

ブランチ
喰うものは、食う 忘れずに喰う
そのうち喰ったことを、忘れるのか トホホ
インスタント麺のラ王の麺🍜を、使用するのがミソ
茹でて洗っておく。(スープが残るがまぁいいか)
生麺風 食感 のど越しが、よい。
具は、豚肉🐷 キャベツのみ
ソースは、鶏ガラスープの素 ケチャップ 中濃ソース
醤油 塩 ガーリックパウダー各々少々 
半熟目玉焼きを、のせる。

【 老いるということ 】

日常 徒然
40代だったか🤔 老いるということがピンとこないで
“老人体験”というものを体験してみた。


老いていく父を、目の当たりにして
理解するためもあったと記憶する。
・手足に重しをつける
・眼鏡を、故意に曇らせる
・軍手を、はめて小銭をさわる
・イヤーマフを装着 
・杖を使ってみる  等々
ピンとこなかったと記憶する。
ただただ鬱陶しいなと 感じたとも。
よく言われるところの
「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。」
これも 現在ピンとこない。働きたくとも職はなし。
衰え 劣化 老化をひしひし感じる 今日この頃。
老人体験が わが身に わが身に あな怖ろしや😱
気が付くとWhite hairが増えたものだ。トホホ。
今朝も水替え お鈴叩き 合掌を、つい忘れ…
KAMIさんが、いないと何もできない老人ここにあり。ウゥゥ
(小嘘

【そして3か月】

9月に、家族8人で奥湯河原の高級温泉宿に投宿した。
『正月も来たいね』などと元気であった。
医師の宣告通りほぼ3カ月で昇天した。10月 74歳であった。
緩和ケアを受ける(選択する)際に 担当医師から
『あと戻りできませんよ いいですね いいですか』
『即ち途中で、治療に変更することは、できません』
と くどくくどく 言われ 
誓約書を書かされたのをはっきり覚えている。
世のなか変わったのか 病院単位の考えなのか???

【母を思い出す】

異常に咳き込み 
診察の結果 H15年に肺に癌が見つかった。
若いころ罹患した乳癌の転移だという。
40代から数々の大病をしたが
ここ7年ほど無事に過ごしていた。
もういじくり回されるのはいやだ 切り刻まれるのもいやだ。
従って治療は、しない。咳込みに苦しんでいた。
自分で探し回り 緩和ケアを選択し 家族に宣言した。
3か月(医師判断)分の費用も自分で、用意してあった。
決意は固かった。
反論する余地はなかった 強い母だった。
五反田のNTT病院 昔の逓信病院の緩和ケア科に入院した。

【はっぴーえんど】

ビックコミック掲載 作 魚戸いさむ
週末医療の在り方を問う お気に入りのコミック。
緩和ケアについての認識が、変わった。
なにが正しいかは、わからないのだが母のことを思い出す。