【公平に母方の祖父の事も】

医師だった。 朝鮮からの引き上げで苦労したらしい。
 豪放磊落の遊び人だったらしい。伝説は、多々ある。
 初孫 男児で可愛がってくれた
 四歳か五歳の時、飲み屋さんに連れられてカウンターで
 遊んでいたのをなんとなく覚えている。
 晩年 医学誌も勉強している 手先の訓練もしている
 (昔のパチンコで) 聴診器が、使えるまで頑張ると
 80歳過ぎまで頑張っていた。
 父方の祖父と対照的なひとだった。
 なんとなく明治人の気骨は、共通している。

【 祖父の事もうひとつ 】

 見事な達筆だった。
 老いてから筆で字を書きそれを銀紙に
 貼り付けハサミで切り抜き紙に貼りつける。
 このような細かい作業漬けで、腰が、90度
 曲がってしまった。
 謹厳実直で意志強固なひとだったが
 煙草は、やめられなかった やめなかったのかも。

 この色紙は、私が大学を卒業した時のもの。

【 この季節になると… 】

思い出す🤔 父方の祖父が
《花のみを 待つらん人に
雪間を分けて春を見せばや》
と短冊に、書いて話してくれたのを思い出す。
世のなか梅だ桜だと浮かれているが
人知れず山里でひっそり顔を出している
福寿草のようなひそやかな幸せもあるのだよ。
『 ていかの歌たい 』
藤原定家の歌らしい。
黄綬褒章を拝受した謹厳実直な祖父だった。